それでも続く生活を、いっしょに歩くための風呂敷き
〈古里おさむと風呂敷き〉は、東京の幡ヶ谷にあるウミネコカレーの店主であり、ロック・バンド〈uminecosounds〉の主宰者でもある古里おさむ(Vo/Gt)、ロック・バンド〈シャムキャッツ〉の元メンバーであり、現在は社会福祉の仕事に携わっている藤村頼正(Dr.)、藤村の大学時代の友人であり、現在は山梨県甲府市にある能成寺で副住職を務める樋口雄文(Ba)からなるロック・バンドである。上述したように、メンバーはみな現在音楽を専業にしているわけではなく、それぞれが別の本業をしながらバンド活動をしている。この状態について古里は「宮沢賢治の言う〈農民藝術〉みたいなことです」と語っている[1]。
「農民藝術」とは宮沢賢治が自身の著作『農民藝術概論綱要』において掲げた概念である。正確にその定義を断ずることは難しいが、概して捉えるならば「生活そのものを芸術として成立させる」ということだと考えられる[2]。音楽とは異なる生活を中心にして今を生きている3名が集まり鳴らしたサウンドは、まさに「農民藝術」的な、地に足の着いた「生活者」の空気を携えたものになっている。断っておくならば、これは決してアマチュアリズムに甘んじるということではない。むしろ生活の場を掘り下げていった末に、世界の深淵を覗く穴へとたどり着こうとするような、ある種の狂気をも孕んでいると言えるかもしれない。
アルバム前半部は古里のバンド〈uminecosounds〉で発表された楽曲の再録音となっている。M1の「まちのあかり」は穏やかにたんたんとした演奏の上を古里のヴォーカルがつぶやきのように流れていく。そして終盤で堰を切ったように、かき乱れるように、ゲストギタリストである岡田拓郎のギターソロが炸裂し、その上を滑べるように温かなコーラスが流れていく。繰り返される日常とそこに顔を出すきらめき、東京という都市に吹き溜まる混沌が、コントラストとして描き出されている。M3の「夕焼け」は〈uminecosounds〉の録音版に比べて、古里のキーがやや下がり、わずかに歌詞の言い回しが変わっている。わずかな差ではあるのだが、なぜか、この違いによって年月を経たことによる大人の苦みが感じられるようだった。サウンドも素朴なスリーピースであることによって温かな手触り感があり、胸が詰まる気持ちが沸き上がる一曲だ。
アルバム後半からは新たに作られた楽曲が並ぶ。M6の「ありえないね」はひたすらに繰り返されるベースのリフとそれを支えにしたままに演奏される開放感のあるアウトロが特徴的な曲である。1日の時間の流れを主題にした歌詞や、繰り返しのフレーズが漂わせる寂寞感からは日常の繰り返しの単調さを憂うと同時に、それを素朴に慈しもうという気持ちがにじみ出ているようだ。バンドの始まりの楽曲であるM7「流水」は、別れの様子を流転する水に例えて歌いあげる。いなくなっても続いていくもの・ことへの想いを馳せながら、本作はそっと幕を閉じる。
「疲れ切った人に聴いてほしい」「疲れてたり、悩んだりしている人に、ちょっと荒っぽいかもしれないけど優しい言葉を投げかけている」「元気が出た――そうなれば、いいなと思っています」[3]。メンバー自身が語るように、この作品は傷ついた気持ちや暮らしにくたびれてしまった心に染みわたるような温かさを持っている。
「飲食業」「社会福祉」「僧侶」と異なる業種ながらも広義には「ケア」という共通点のある仕事に携わるメンバーが集まっているからだろうか。だが邪推かもしれないが、こうした仕事を引き受けている人こそ、自分自身が心の痛みを蓄積するような場面にも多く出くわすのではないだろうか。そんな人たちが、自分たちが自然と楽になれるための音楽を作り、そしてその音楽が傷ついた人をまた癒す。
私は『えん』というアルバムタイトルからはこうした循環の環の形も想像した。
MVでも使われている穏やかな合宿のようなレコーディングの様子や、丁寧に作られている様子の食事からも、メンバーやスタッフたちのセルフケアのような姿を感じとることができる気がした。
華美な演出や大それた表現を試みているような作品ではないだろう。
むしろこの身近に感じられる人間臭さ―風呂敷きのようにふわりと軽く覆いかぶせて、心の中の重たいものをよいしょっ、と持たせてくれるような力強さと優しさ。世界の片隅でそんな音を鳴らす作品だ。
そして僕は世界の片隅でこの作品を聴きながら、辛くなってしまったことを思ってはちょっとだけ涙を流し、またやって来る明日を迎えいれる。
参考文献
[1][3] Mikiki by TOWER RECORDS「古里おさむと風呂敷き、この3人ならではの優しい音楽――後藤正文や岡田拓郎も貢献した1stアルバム『えん』を語る」(2025/1/29)
[2] 市川寛也(2019).「「農民藝術」概念の現代的解釈をめぐって 地域芸術論としての側面を中心に」『美術教育学研究』.大学美術教育学会 第51号. 25-32