kiss the gamblerが語る音楽との出会い、『黙想』に込めた思い、そして芸術家としての矜持(前編)

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「”芸術活動に賭けている人たち=gamblerを愛し、応援する”という意味からアーティスト名をつけたんです」と、kiss the gamblerことかなふぁんは言う。会社員をしていた彼女が生活の中で奏でていた音楽は、Record Store DayでのLPの相次ぐ完売、TuneCore Japan、Pluto Selection Biweeklyといった大型プレイリストへの収録など、徐々に人々の注目を集め、今では彼女自身が、応援していたgamblerの一人として活動するに至っている。
今回は彼女のバックグラウンドを紐解きながら、1stアルバム『黙想』の内容についても語ってもらった。


kiss the gambler
ノスタルジックな世界観と豊かな感性を感じさせるインディー・ポップ・SSW。声変わり前の少年のような真っ直ぐな歌声と、心に滲み入るリズミカルな詩に加えて、心揺さぶる病みつきメロディが特徴的。
2018年より、東京を拠点にピアノ弾き語りやバンドセットでのライブ活動を開始。2021年夏、1stアルバム「黙想」をCD・カセット・配信でリリース。2022年4月に、雷音レコードから「Fresh」の7inch、「黙想」のLPをリリースしている。2022年5月からは岐阜のシンガーソングライター「岡林風穂」とツーマンでJAPAN TOURを開催する。2022年7月13日に、JET SETと共同リリースで「ジンジャー」の7inchシングルをリリースする。
(kiss the gambler official HP)

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引っ込み思案だった幼少期とピアノとの出会い

―小さい頃に聴いていた音楽などはありますか?

kiss the gambler: お母さんがキングズ・シンガーズ(King’s singers)¹というUKのアカペラ・グループが好きで、それを横で聴いていました。ビートルズなんかも、原曲より先に彼らのカバーで出会いましたね。これがきっかけでコーラスがすごく好きになりました。自分の曲でもコーラスは自分で考えますし、そういう意味では今でも影響を受けているかもしれません。
あとお母さんが、私をアカペラとかピアニストのコンサートに結構連れてってくれたんですよ。せっかく東京に住んでるから地方では体験できないことを味わわせたかったみたいで。私は演奏が心地良すぎていつも眠くなってしまって、途中で寝ないように気をつけてましたけど(笑)
でも、東京オペラシティで観たアンドレ・ギャニオン(André Gagnon)²のピアノ・コンサートや、ウィーン少年合唱団、プラハ少年少女合唱団のコンサートがすごく良くて、その公演は子供ながらに覚えてますね。

¹ 1968年にイングランドで結成され、メンバーを変遷しながら40年以上にわたり活動を続けているアカペラ・グループ。
² カナダ出身のピアニスト。ヒーリング・ミュージック、イージー・リスニングの分野で作品を残した。代表作に「
Comme au premier jour(めぐり逢い)」などがある。(1936~2020)

―ご自身はどんな子供だったのでしょうか?

kiss the gambler:音楽をみんなの前でやろうとか、人前に出よう、というのができないタイプだったと思います。音楽委員にはなりたいけど、学級委員にはなりたくない、みたいな。ドッチボールも最初から外野に居たかったタイプですね。規律の厳しい学校に長く通っていて、その枠から外れないようにしているような、まじめな子供でしたね。もっとギャルになれるならなりたかったけど、ギャルになるために必要なものにアクセスできなかったです(笑)
そう思うと、今が一番ギャルしていると思います。同級生とかには「かなちゃん、なんで今音楽やってるの?」って言われたりするんですけど、私は今がめちゃくちゃ幸せですね。

―どのようにピアノを学ばれましたか?

kiss the gambler:小学校のころ、クラシックピアノを習っていたのが最初ですね。でも、クラシックは6年生くらいでやめました。自由に弾くことができないのが、楽しくなくて。

―まさに規範の中で弾かされてたんですね。

kiss the gambler:ですが、今の音楽制作に最も影響しているのはこの時習っていた先生のレッスンだと思います。「弾き始める前に目を閉じて、かなちゃんの一番きれいだなって思う景色を想像して」といってからピアノを弾かせてくれるなど、変わった教え方でした。この先生の影響で、意識的に黙想というか、自分自身の中を思索する習慣がついたと思います。『黙想』の曲もどれも実際に黙想している時に書いたものです。

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