kiss the gamblerが語る音楽との出会い、『黙想』に込めた思い、そして芸術家としての矜持(後編)

kissthegambler4都心に生まれ、Mr.Childrenを愛聴していた子供時代から、USインディーを経由して育ってきた彼女の作る楽曲には、東京という都会の風景と大陸の牧歌的な爽やかさとが同居する。パンデミック下で体験した辛い経験をもキャッチ―で親しみやすいに楽曲に昇華するソングライティングは、誰もが明るく聴ける楽しさがあるかと思えば、自分の心にだけ染み入るように温かく響くこともある。
インタビュー後編では、1stアルバム『黙想』、そして新作についても語ってもらった。
(前編はこちら)


自分の内面を思索し、祖父に捧げた作品

―ここからは1stアルバム『黙想』について聞かせてください。まずアルバムのタイトルはどういったところに由来しているのでしょうか?

kiss the gambler:大きくは三つの意味合いがあります。
一つ目は「黙想」本来の意味です。改めてこの言葉の意味を調べたところ、「目を閉じて静かに自らの内面に深く沈思し、人生、生きることの意味について思いをめぐらす行為」とあったんです。先ほど挙げたピアノの先生のレッスンの影響などもあってか、私ちっちゃいときからこの行為をやっていたなという事に気づいたんです。
二つ目は「故人を思う」という意味です。本作の製作中におじいちゃんが亡くなって、おじいちゃんに捧げようと思ってこういうタイトルにしたといういきさつがあります。
三つ目は漢字二文字にしたかったという点です。例えばカネコアヤノさんの『燦々』、折坂悠太さんの『平成』といったタイトルに連なるようなアルバム名はないかなと思っていて、『黙想』はまだないだろうと思い名づけました。

―アルバム冒頭の「シベリアサンド」は、先ほど話して下さった子供時代の話がもとになっているのでしょうか。

kiss the gambler:全てが事実ではないです。例えば、歌詞中に登場する≪父さんの流すカーステレオ≫については、お父さんがいない子供が聴けなかったものの象徴として描いているんです。
私の住んでいた地区には複雑な家庭事情のおうちも結構あって、色々な家庭環境の子と共に育った、みたいな曲なんです。父親に別の女性が出来て、家を出て行ってしまったというような家庭もあったりして。そういった友達の家に行くと、歌詞にもあるように≪そこら中に悲しみが転がって≫いるように感じられました。

 

―「スプリングコール」の歌詞≪朝のコーヒーがホットからアイスに変わって/そこに春は来たかな?ここの木にはまだかな?≫と歌われる季節の変化や、「兄さん」に登場する道すがらの人々への想像力など、比喩や風景描写に優れた楽曲が多いように思いました。

kiss the gambler:想像するのは癖だと思いますね。「スプリングコール」は自分が山の上に住んでいることを想像して、下って行ったら春がきて…みたいな。言っちゃえば妄想なんですけど、そういうイメージから始まって、それを膨らませることで作っていった曲も多いです。
「兄さん」も今子供がドリルやりながら歩いてるなあ、みたいなところから、その子の家庭を想像したりしました。加えて、周囲の人が考えていることが聴こえるというわけじゃないんですけど、感じ取ってしまうんですよね。音楽やってなかったらこうして感じ取ったものを出すところがなかったなって思います。


―人間に愛情を感じる温かい描き方ですよね。加えて言うと、明るく温かな印象を与える楽曲が、どれも実体験ではなく想像から、しかも場合によってはつらかった時期にそこから逃れるために作られたそうですね。

kiss the gambler:「Fresh」や「ジンジャー」などの製作時は、個人的に辛い時期だったのですが、暗い感情を暗く表現するのではなく、明るいものに昇華したいという思いがあるのだと思います。暗い気持ちを暗く描いても歌ってて楽しくないですし、ライブでは「歌って吐き出してやるぞ!」みたいな気持ちで歌ってます。



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