SUGEEインタビュー/世界を回り辿り着いた、癒しと循環の音楽

2.キューバ・マリ:グリオの村を訪ねて

-続いてはキューバ、そして西アフリカへと旅立たれたとのことですが、ここへはどういった目的で行かれたのでしょうか。

SUGEE:元々はキューバ・レストランでアルバイトをしていて、そこで西アフリカにはヨルバという民族がいるというの知ったんです。キューバには奴隷として連れて来られた彼らの音楽が残っていて、それが宗教音楽「サンテリア」として今も演奏されているんですね。キューバの東端にあるサンティアゴ・デ・クーバに行って、サンテリアの司祭=ババラオにサンテリアのリズムを習いました。

で、そのヨルバは西アフリカから新大陸へ行って、サルサとかブルースを生み出したというのを知ったんですよ。

-なるほど。ヨルバはナイジェリアからベナン辺りの人々かと思いますが、西アフリカでもマリの方へ向かわれたのはどういう選択だったのですか?

SUGEE:好きなアフリカの音楽を辿っていくと大体マリだったんですよね。例えばサリフ・ケイタ(Salif Keïta)や、彼が所属していたRail bandだったり。


その中でマリのグリオ³の歌を収録したCDを見つけて聴いて、すごいなと思いました。中でも、シラモリ・ジャバテ(Siramori Diabaté)という好きなグリオがいて、調べていくとケラという村がグリオの聖地で彼女の出身地だと知り、絶対行こうと決めました。

³西アフリカ圏における伝統的な世襲制のミュージシャン。文字のない時代に、神話や歴史を歌にして吟じることで口伝する歴史家的役割や、冠婚葬祭における宮司的な役割、演奏による政治交渉などの役割を担っていた。

で、ケラから5キロぐらい離れてるカンガバという村までたどり着いて、そこでジェンベを習っていたときに、ケラから来たある女性が、「(ケラに来たいのなら)私のうちに来なさい」って言ってくれたですよ。そしたらその人がたまたま、シラモリ・ジャバテの娘さんだったという。

右手の女性がシラモリ・ジャバテの娘のビンタン・グヤテ。彼女自身もグリオである。

-すごい話ですね。今、ボーカル&パーカッションのスタイルでやられてるのは、このマリの経験からなんですね。

SUGEE:ただマリには、いや西アフリカ全体で見ても、あまりジェンベを叩きながら歌う人っていなくて。ジェンベはジェンベで、歌い手は歌い手に分かれているスタイルが基本なので。
だから僕はやってることは結構クラブ・ミュージックに近いんですよ。ほんとだったらジェンベ演奏というのはもっと複雑なリズムを叩くんですけど、僕はそれを考えずにワン・グルーヴのシンプルなリズムにして、その上で歌が展開していくというやり方を取っています。
なので、アフリカのトラディショナルな音楽をそのままやってるかというと全然そうではなくて、アフリカで学んだことを自分の世界観に生かして、反映させているという感じですね。

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