自分たちも何かをしたい!この喜びを分かち合いたい!そう思わされるある出来事が、昨年から今年にかけて起きた。
ELLEGARDENがアルバム『The End Of Yesterday』を16年振りの新作として発表し、「The End of Yesterday Tour 2023」と題した全国ツアーが始まったことである。長い時間止まっていた時計の針が動き出した。
ここを使って出来ることと言えば、何かしらの文章を書くことであるとは思った。
とは言え、自分たちのために音楽をやっているELLEGARDENというバンドの性格、そして本作がメンバー4人と盟友であるスコット・マーフィー(Allister/MONOEYES)というスタッフをも除いたバンドとしての最少単位でレコーディングされたという背景を考えると、この極めてパーソナルな作品についてのアルバム・レビューを書いたり、批評めいた文章を書くのは、祝福をしたいという意味では、どうも野暮になるように感じられた。
そこで今回は「ぼくの/わたしのELLEGARDEN史」と銘打って、各々が自分の人生の中でELLEGARENとどのように付き合ってきたのか、何人かのリスナー自身のごく個人的な歴史を書き記してみることにした。
2018年の活動再開時のツアー「THE BOYS ARE BACK IN TOWN TOUR 2018」の最終公演で、フロントマンである細美武士(Vo/Gt)は「お前らにはお前らの10年があって、今日はその最後の部分がくっついている日であって、一人ひとりが主役な物語があるわけじゃん?この10年がどんなだったか、こんどまたゆっくり聞かせてくれよ」と言っていた。
だからというわけでもないのだが、自分たちが歩んできた人生の中で、彼らがどのような存在であったかを好き勝手に描きだすことが、ELLEGARDENの新作発表を祝うのに悪くない方法であるような気がしたのだ。
ここに掲載されている文章はどれもエッセイのようなもので、決して洗練されたプロのような文章ではないかもしれない。
だが、そのどれもがELLEGARDENについて語ることが出来る喜びに溢れていることは間違いない。
これが私たちなりの『The End Of Yesterday』、そしてあいつらの旅へのエールである。
ELLEGARDENと共に迎えた未来までの軌跡
Text by guchico
2004年。
当時は今と違いSNSやYouTubeは普及しておらず、バンドに興味を持ち始めた中学生の私が音楽情報を集めるとすれば、友人から借りるか、テレビの音楽番組や雑誌・フリーペーパーなどから見つけインターネットで調べてレンタルショップに行くかという方法しかなかった。
ELLEGARDEN(以下:エルレ)と出会ったのはテレビの音楽番組で見たPVだった(まだMVよりPVという呼び方が主流の時期)。曲は「Missing」。お金が無い中学生ではレンタルもしていない作品を聞くすべがなく、耳馴染みの良い楽曲とライブハウスの映像の印象がぼんやり頭に残ったまま、その後発売されたアルバム『RIOT ON THE GRILL』を手に取ったことから彼らの音楽にはまっていった。
高校生になると、好きなバンドがさらに増え、ライブハウスに行くようになった。
一方で学校にはあまり足が向かず家にいることが多くなり、人との関わりが薄くなっていた。音楽で救われたという実感は当時はあまりなかったが、音楽を聴いてライブハウスに行くことが唯一外に出て解放されてる瞬間だったと思う。
好きな音楽を爆音で聴いて、カラフルな照明で輝くステージを見て、汗だくなのに笑顔で歌い演奏する姿を見ているだけで楽しかった。音を鳴らすことでその場を自分たちの世界にする。バンドってかっこいいと思った。
ライブに行くことで自ら殻に閉じこもろうとした私に、外の光を浴びさせてくれたのがバンドだった。今になってそう思う。
好きなバンドは多くいたが、私にとってエルレは何故か特別に思えた。
エルレの良さは沢山あるが、欠かせないのは人間味溢れる自然体さだと感じる。
明るい曲調でも歌詞はどこか切なさがあり、ファンに対して友達のように話しながらも寄り添い続けてくれる。
自然体でありのままを見せてくれるから、語りかける言葉は何よりも身近で、転びそうなときに手を引っ張り上げてくれる。
どんなに有名になっても黒い服を着て大きなドクロマークを掲げ、笑顔で演奏する。変わらない考えや話し方が好きだった。
それを顕著に感じたのが2007年3月24日幕張メッセの公演だった。
ライブハウスという場所にこだわっていたにも関わらず、人気が加速しチケットの転売が絶えないことを危惧して開催されたライブ。
こだわりを大事にしていたのを知っていたから、その決断が大きなものであることは察した。
大きすぎると自分の目の届かないところにまでお客さんはいる。でもそれまで目の前にいる人に向けて音楽を大事に届けてきたからこそ、それを受け取ってきた3万人が集まる光景は、どんなに広い会場でも同じ熱量で同じ想いを持っていたと思う。
「ライブハウスに帰ろうぜ!」という言葉はその日の1番のハイライトで彼らの意志の強さを感じる瞬間だった。
(余談だが、彼らが「自分たちは変わらないしみんなと同じ」であることを表す例として「俺たちだってペヤングとか好きだしさ」と言ったMCが何故か印象的で今でもペヤングを見ると思い出す。)
その後訪れた活動休止の一報はとても衝撃的だった。
しかし、当時彼らがバンドとしてのバランスを取れていない事は外から見てもよくわかった。
2006年に発売された『ELEVEN FIRE CRACKERS』というアルバムは製作が遅れ発売延期をしている。
そのときは前向きな言葉を投げかけてくれたが、大好きな曲を作っているはずなのに、どこか辛そうだった。そして発売されたアルバムの曲調も今までと違う、ヘヴィーで鋭くて、だけどどこか脆くて、自分たちの中の、特に楽曲制作をメインを担当する細美武士(Vo/Gt)の限界ギリギリのところから掘り出してきたような印象だった。アルバムとしての完成度が高い故に、これを作るのにどれだけ向き合ってきたんだろうと、今でも聴くとファンとして不安に思った当時のことを少し思い出してしまう。
また当時の彼らの行動に不安を感じたのは「COUNTDOWN JAPAN 07/08」で人気絶頂だったエルレが小さなステージを選んだときのことだった。当時は人気があるんだから大きいところでやれ、という非難もあっただろう。
確かに今までのフェスでは大きなステージに出演していたにも関わらず、このときだけあえて小さなステージを選んだことに違和感はあった。しかし、そんな場ですら小さなステージでお客さんとの距離が近くないと自分たちの立ち位置が分からなくなっていたのではないかと思った。
大丈夫かと心配しつつ、彼らの感じ方を尊重したい気持ちが勝っていたので、好きなことをしてくれれば良いと思っていた私はステージ・エリアに入らず、冬の肌寒さを感じながらその小さなステージを遠くから眺めていた。
そんなことがあったから活動休止はショックではありながら、納得せざるを得なかった。
むしろ解散を選ばない状況で良かったと、今では前向きにとらえることができる。
休止前最後のライブの新木場スタジオコーストでは、会場内にいるファンだけでなく、外にいる音漏れを聴きに来た人たちにまで音が聞こえるように扉を開放したことが印象に残っている。ファンたちになるべくありのままを見せたいと思う彼らの変わらない姿があった。
その後私は大学の軽音サークルに入りエルレのコピーバンドもした。細美さんと同じレスポールのギターを買った。
レスポールのギターを軽そうに持ち、跳ね回りながら弾く姿がすごく好きだったが、同じようにやってみようと思ったらギターが重すぎてそんなことができず、なんであんなに軽そうに弾くんだよ・・・と嘆きながらそのギターをいつも触っていた。
そして社会人になり毎日仕事に揉まれ、たまに行くライブハウスでも汗をかくことも無くなり、活動休止から10年が経った。
2018年エルレの復活。
そしてライブのお知らせを聞いた時は復活の嬉しさというのもあったが、「約束を覚えてくれていた」とか「信じて待ち続けて良かった」とか、そういう感情が一番上に来ていたように思う。
ファンのことを「お前ら」や「あいつら」と言うように友達のような感覚で呼ぶのが好きだった。
10年の活動休止を経て、自分自身も20代終盤に差し掛かり、生きていく中で色々と生活や趣味や嗜好が変わってきた私は、彼らの言う「お前ら」に入っているのだろうか、という不安があった。
しかし、ZOZOマリンの広い会場の後ろの方から見たステージの彼らは10年前から変わっておらず、ファンのことを「お前ら」と呼び、黒い服を着て大きなドクロマークを掲げ、笑顔で演奏していた。そして演奏される曲たちが血液のように自然を身体中を巡るのがよくわかった。何度も聞いた曲は体に染み付いている。そこで一気に距離が縮まったのを感じた。
長年会っていなかった友達や家族に対して会った瞬間に一気に当時に戻るなんてことをよく言うが、まさしくその感覚に近かったんじゃないかと思う。私たちと彼らが10年守り続けた約束はこの日果たされたのだった。
そして2022年エルレは新曲を発表した。10年の活動休止を経て復活してただけでも大満足なのに、こんな贅沢なことがあるだろうか。
新曲「Mountain Top」は細美さんが曲作りで悩んでいた時に外に出て山登りをした時に生み出されたものだと知った。山を登るように上向きな気持ちで生み出された曲だったんだ。やはりバンドのモチベーションやそのときのマインドが色濃く出る人たちだと思った。今の4人はとても良い状態なのだろう。私もこの曲を最初に聴いたときに感じたのは、どこか開放的で突き抜けたような、でも穏やかさもあるような感覚だった。勝手ながら、おそらくメンバーたちと近いものを感じることが出来たような気がした。結果論でしかないが、活動休止が無かったら生まれなかった曲だ。「良い曲だ」と思った。
2022年12月。
エルレはツアーを行い、東京の会場にはドームやスタジアムではなくZepp Hanedaを選んだ。変わらず距離感を大事にするバンドだった。コロナによる制限がありモッシュやダイブは出来ない、曲中に手拍子が起きるという様子で、本来のエルレのライブの姿ではなかったが、この日に限ってはこのレスポンスがライブを楽しみにしていたファンから彼らに感謝や想いを伝える、最も最適な方法だったと思う。そしてこちら側に訴えかけるように1曲1曲大事そうに歌って演奏している姿が印象的だった。
アルバムの話と来年ツアーをやると言っていた。10年活動休止をしていたとは思えない位の精力的な活動で、まさかアルバムを出してツアーをやるなんて思いもしなかった。16年ぶりのアルバムという言葉はパワーワードすぎやしないか。そして私の人生の半分以上にエルレが関わっていることに気づいてしまった。
休止中はいつ戻ってくるのかということだけで気持ちがいっぱいで、新作やツアーといった先のことなんてこれまでは1つも想像出来なかったから、彼らと未来の話ができるということがとても嬉しかった。
そのライブが終わった後は昔の思い出に浸ったりするだけじゃなく、今を楽しみ、未来を感じる前向きな気持ちで彼らを見ることができたのが幸せだという思いを噛み締めながら、冬の肌寒さも忘れて帰宅した。彼らと作る歴史の新たな始まりを感じた日だった。
彼らがいたから今までの私はまっすぐ歩いてこられた。
そんな彼らに今伝えたい言葉はこれだけ。「これからもよろしくお願いします!」